①闘病編

息子(生後6か月)の危篤

生後6か月の息子の写真です。

神戸のこども病院に入院している息子と妻を残して、私は仕事のため鹿児島に帰ります。

息子の様子は妻との電話のやりとりが全てでした。

私が帰った途端、息子の容体は日に日に悪化します。
気管の手術は成功しましたが、やはり気管が狭いようで気管陥没を繰り返すようです。
そのたびに息子は呼吸困難に陥り、とても苦しそうです。

そこで、「気管のバルーン拡張」の施術することになりました。
簡単に言うと、気管を膨らまして拡張させる手術です。
バルーン拡張するとしばらくは体調が良くなりますが、数日後、また気管が陥没します。
バルーン拡張手術を3、4回繰り返した時でした・・・最悪の事態が起こります。

夜中、突然の妻からの電話です。
「〇〇が危篤状態。病院から電話があったから、今から行ってくる。」
妻は号泣でかなり動揺しています。

あとは妻からの電話だけが頼りです。
鹿児島にいる私はどうすることもできず、「無事であってくれ」とただ祈ることしかできませんでした。
体中が震えあがり、家の中を行ったり来たりしておろおろしていたと思います。

「なんで私の家族ばかりこんな辛い思いをしなければならないのか」
どんどん悪化していく息子。
どうしようもない怒りのようなものもこみ上げてきました。
「夢であってくれ」神様にすがる思いでした。

妻からの電話が鳴ります。
「〇〇が危ない。今病院のオートコール(病院内の全医者の呼び出し)が鳴った。〇〇が死んじゃう。どうしよう。どうしよう。」
妻は号泣しながらかなり取り乱しています。
その時私は妻になんて声をかけたかも覚えてません。
きっと何も言えず、ただただ一緒に取り乱していたと思います。
心臓のドキドキが止まりませんでした。

それから1時間後、再び電話が鳴りました。
息を飲みます。
「何とか一命はとりとめた。」
良かったと心の底から思いました。
「この時、もし最悪の事態になっていたら・・・」当時を振り返ると、今でも震えあがる思いです。

妻にも本当に辛い思いをさせてしまったと思います。
息子が危ない状況で一人でどんなに辛かったか計り知れません。
看護師長さんに「大丈夫だから」とずっと抱きしめてもらっていたそうです。

「気管切開」

知る人はご存じだと思いますが、究極の選択が近づいています。

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