③療育編

息子を最優先に考えた苦渋の決断

初めての方はまずこちらをお読みください。(希望の星『わくわく日記とは』

息子当時4歳(2014.1)

「いとこ」と正月、遊びに行った時の写真です。
本当にいい笑顔です(笑)

でも、幼稚園では笑顔が消えてしまいました。

幼稚園でのクリスマス会で子供たちがうれしそうにしている中、息子はどうしていいのかわからず今にも泣きだしそうな強張った表情で一人その場に立ちすくんでいる姿を目の当たりにした私はついに決断します。

「幼稚園を変える」

その日の夜、早速妻に話を切り出しました。

「幼稚園を変えようと思っている。」

妻の反応は・・・予想通り反対でした。
妻の理由はというと、

「気管切開のまま受け入れてくれた唯一の幼稚園を裏切ることはできない。」
「提携している(今後入る予定の)療育の先生とも話して、今後、幼稚園と連携してやっていく話もしているし・・・」

息子が難病で生まれてから今まで、「究極の選択」を何度も決断してきました。
しかし、夫婦でここまではっきりと意見が分かれたことはほとんどありませんでした。

私は妻を説得します。

「俺は息子の将来を最優先に考えている」
「幼稚園には気管切開の息子を受け入れてくれて感謝している」
「でも、周りの子供たちとの関りが一切なくなっている今の状況では、いくら療育と連携するといってもコミュニケーション能力が劇的に向上するとは思えない」
「思い切って幼稚園を変えて、また新たな環境で一から取り組んだほうがいいと思う」
「息子をずっと見てきたからこそわかるが、このままでは絶対に変わらない。むしろますます苦しむことになる。これ以上息子が辛い思いをすることに我慢できない。幼稚園もきっとわかってくれる」

それから妻と毎日のように話し合いが続きました。
はっきりは覚えていませんが、最終的には私が押し切った形で妻を渋々納得させました。
「幼稚園には俺がちゃんと説明するから」

でも、内心は私自身もある意味「一か八かのかけ」でした。
「新しい幼稚園でうまくいかなかったらどうしよう・・・」

正直自分の中でも不安しかありませんでした(笑)
毎日のように迷っていました。

妻は常に息子に一生懸命でした。
私も妻に負けないぐらい息子と向き合ってきましたので、息子のことはわかっていたつもりでした。
「絶対にうまくいく」
「息子のこの笑顔を取り戻すために」
息子の無邪気な笑顔が当時、優柔不断だった「私自身の決断」を後押ししてくれました。

年が明け、新しい幼稚園も決まりました。
幼稚園へ夫婦で説明に行きます。

事前に幼稚園に相談したら「引き止められる」とわかっていたので、あえてすべてを決めてからにしました。
自分自身の迷いを断ち切るかのように自分自身を追い込みました。

幼稚園で説明します。
「気管切開でリスクのある息子を受け入れてくれて、感謝している。本当に感謝してもしきれないぐらい感謝している」

比較的小規模な幼稚園でしたが、私がいつ幼稚園に行っても(頻繁に顔を出していました・・・)先生方が何一つ嫌な顔をされず、温かく迎えていただきました。
本当に居心地がよく、まるで家族のような存在の幼稚園でした。

「仕方がないことだが、(気管切開をしていたので)他の子供たちからしゃべれない子のイメージがついてしまっているので、今後、他のお友達とのコミュニケーションがうまくいくとは思えない」
「本当に心苦しいが、幼稚園を変えたいと思う」

特に園長先生は寛大な方で、ぽつんと一人でいる息子の手をとり、いつも率先して息子に関わっていただきました。
あまりの突然の話しに相当ショックを受けていてましたが、最終的には私たちの決断にご理解していただけました。

本当に申し訳なかったと思います。
でも、あれから8年たった今でも幼稚園とはいい関係を続けさせてもらっています。
たまに妻が息子を連れて幼稚園に遊びに行き、園児たちの前で息子がピアノを弾いたりしています。

ずっと寝たきりだった息子を救っていただいたとてもすばらしい幼稚園でした。
これからもこの出会いを親子ともども大切にしていきたいと思っています。

幼稚園を勝手に退園した私たちはこの後、療育の先生にこっぴどく怒られました。
無理もありません。
療育センターも幼稚園と連携し、取組んでいく予定だったのに相談もなく私が勝手に決めてしまったので・・・
その時はかなり反省しましたが、最終的には療育の先生にもご理解いただきました。

親として、当時息子を最優先に考えた苦渋の決断でした。

-③療育編
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