①闘病編

こども病院で出会った大切な仲間

初めての方はまずこちらをお読みください。(希望の星『わくわく日記とは』

1歳の誕生日を迎え「人工肛門」閉鎖の手術も無事終わり、息子は今日も元気いっぱいです。

息子の手術が終わった後、妻の父母と兄も鹿児島から神戸のこども病院にお見舞いに来てくれました。

妻の父は鹿児島で床屋をやっています。
息子の髪は生まれてまだ一回も切ったことがなく、伸び放題でした。
慣れた手つきではさみで息子の髪を切っていきます。
写真のとおり、さっぱりしました。有難いです。
(髪の毛が伸びすぎて、一時は女の子みたいにゴムで束ねていました・・・)

妻の父母、兄も約1年ぶりに会った息子の成長にびっくりしていました。
もっと病院が近ければいいのですが・・・

話は変わりますが、こども病院にはいろいろな子供たちが全国各地から入院しています。
関西が圧倒的に多かったですが、名古屋や岡山、大分など全国各地から来られています。

HCUにベットを並べてそれぞれ入院していましたが、みんな病気もさまざまです。
でも、息子と同じく生まれつきの先天性疾患の子供がほとんどです。

私たち夫婦も入院している子供のママさんたちにずいぶんと助けられました。
(先生や看護師さんもですが、そこはまた改めて書きます。)
関西の方が多いせいなのか、皆さんとにかく明るいです。
とてもお子さんが難病で苦労されているとは思えないぐらい明るく前向きです。

鹿児島の病院は静まり返っていたのに、神戸のこども病院はとても賑やかで、先生や看護師さんも含め、いつも病室が笑いであふれていました。

妻もママさんたちとすぐに仲良くなり、お互いの悩みを話したり、子供の調子が悪いと一緒に心配してくれたり、子供同士を遊ばせたり、まるで家族のような存在になっていました。
子供が難病で辛いのは私たちだけではないんだと励まされ、ずいぶん気持ちが楽になりました。

子供さんが大変なのに車のない私を送ってくれたり、何かを買ってきてもらったり、数えきれないぐらいの優しさをいただきました。
(息子を寝かせつけた後に弁当生活ばかりだった私たちをビッグボーイに連れて行ってくれて一緒に食べた「W大俵ハンバーグ」は本当においしかったな。今でもあの時に食べたあの味が忘れられません。)

本当にママさんたち(パパさんたちもです)の存在があったからこそ、私たちも慣れない神戸で頑張ることができたんだなと改めて感謝しています。
10年たった今でも、当時一緒にいたママさんたちとは年賀状や電話・ライン等で交流があります。
年賀状で子供たちの元気な様子を見るのが毎年とても楽しみです。

今となっては住んでいるところもバラバラで、なかなか会いに行けないけど、今でもかけがえのないとても大切な仲間です。

息子が難病でなければ本来一生出会うこともなかったパパさんママさんたち
これも何かの縁なのでしょうね。
人生って偶然がいっぱいですばらしいです。

これからもずっとこの出会いを大切にしていきたいと思います。

-①闘病編
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