①闘病編

ついに鹿児島に帰れる

初めての方はまずこちらをお読みください。(希望の星『わくわく日記とは』

こども病院に入院している1歳3か月の息子です。

こども病院でも有名な「こてこての関西おじさんの看護師さん」が、息子の伸び切った髪を見て「髪切ったるわー」
バリカンでさっぱり坊主頭にしてもらいました。

あまりにも似合わなすぎる・・・

現在(12歳)まで坊主頭はこれっきりです(笑)

6月になりました。
今回は予定通り、胃をくくり「胃ろう」を造成する手術です。
簡単に言うと、胃から食べ物が逆流しないように胃をくくり、お腹から胃に直接チューブをつなげる手術です。

検査の結果、胃からの逆流が見られ行動も活発になってきたので、鼻からのチューブではなく「胃ろう」にしたほうがいいとのことで、手術することに決めました。

口からの食事が相変わらず進まず、いつもミルクで補っていました。
この手術で口からの食事が進めばいいのですが・・・

私も手術に合わせて鹿児島から神戸に駆けつけます。

約2時間にわたる手術が無事終わりました。
まだ麻酔が効いているようで、手術室から寝たままの息子が出てきます。

今後は「胃ろう」からミルクを注入できるので、鼻からのチューブはなくなります。

ちなみにこの「胃ろう」は手術で簡単にふさげるとのことです。
口からの食事が進まないときや体調が悪いときは、息子が寝た後ミルクを注入できたので、「胃ろう」は大活躍でした。

手術の傷も徐々に癒えた数日後、先生から耳を疑うようなうれしいお知らせが。

「鹿児島への転院」そして「在宅看護」の方向で考えている。

「気管切開での呼吸管理も安定してきたので、気管切開のまま在宅で息子の成長を待ち、気管が太くなったころに抜管したい。」
「小学生に上がる前にうまく抜管できれば」

とのことでした。

小学校に上がるまではまだ4年ぐらいありますが・・・

「何より鹿児島、そして家に帰れる」

期待に胸が膨らみます。
寒くなる前の秋ごろに鹿児島へ転院を考えているとのことです。

神戸のこども病院に来てちょうど1年。一時は息子が心肺停止となり、どん底を味わいました。
このまま鹿児島には帰れないのではないかと落ち込んでいた時期もありました。

息子は既に10回以上手術を乗り越え、少しづつですが確実に成長しています。
小さな体で本当に本当にがんばっています。

また、妻も慣れない神戸で孤独にも関わらず、毎日朝から晩まで一日も手を抜かずに息子の看病に明け暮れがんばっています。
孤独との戦いで本当に辛かったと思います。

私は、鹿児島にいるため、神戸に妻と息子を残して何もできない自分に罪悪感を感じ、自分の無力さをいつも責めていました。
楽しそうに買い物している親子を見て、「なんで自分たち家族だけこんな辛い思いばかりをしなければならないのか」と落ち込む時期もありました。
悩みすぎて私が救急車で運ばれる日もありました。

「鹿児島に帰れる」

当時の私たちにとっては本当に夢みたいな話でした。
まさに、息子と妻の頑張りが初めて報われた瞬間でした。

「鹿児島に帰ったら妻をゆっくり休ませたい。」
「息子にいっぱい幸せな思いを味あわせたい。」
「今までずっと病院で辛いことばかりだったので、人生は楽しいことばかりということをいっぱい味あわせたい。」
「家族みんなでいろんなところに行って、おいしいものも一杯食べさせてあげたい。」

希望に夢が膨らみます。

それからというもの、在宅看護へむけた訓練が始まります。
看護師の妻も今まで以上に看護に熱が入ります。

俺ももっと頑張らないと。
新たな希望の光をかみしめ、今回は足取りも軽く鹿児島に帰ります。

さあ、まずは家の大掃除からだ。
ちょっと気が早いですが・・・じっとしていられない状態でした。

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